富山県砺波市周辺の石仏

1.常楽寺 富山市婦中町千里

 常楽寺は高野山真言宗の寺院で奈良時代前期の大宝2年(702)創建といわれる古寺。国指定文化財の木造十一面観音と聖観音は平安時代初期の建造で等身大の堂々たるものであり、毎年4月中旬に御開帳が行われる。(富山観光ガイド)石仏はブロックの覆屋内に丸彫の地蔵立像と写真の一石二尊仏がある。二尊仏は自然石を彫り窪めて左側に合掌の地蔵、右は千手観音である。塩照夫著『越中の街道と石仏』には、この石像を“飛騨街道にある男女神並列の道祖神の影響によるものかもしれない”とある。地蔵を男神に千手観音を女神に見立てたのであろうか。

 


2.万福寺 砺波市太田

 参道両側に石仏が並んでいる。結界石は「不許葷酒入寺門」とあり一般には山門だが“寺門”とあるのは珍しい。六地蔵が並ぶ覆屋には不動明王が両脇に二基ある。その先には三十三観音と小屋の中に不動明王が一基納まっている。この不動明王は明治時代の砺波地方を代表する森川栄次郎が彫ったもので銘が入っている10体のうちのひとつである。森川栄次郎は生涯の間に千体の石仏を刻んだとされている。

 

 

 


3.土水門路傍 砺波市太田351太田公民館

 土水門は水田灌漑に重要な役割を果たし史跡となっている。その脇に小堂があり聖徳太子二歳像が安置されている。雪のような肌の上半身に緋の袴を穿き、台石に明治33年創立とある。六月十日には太子講が催される。親鸞は越後で流人生活を終えて妻子を伴って移り住んだ常陸稲田の禅坊は太子像を本尊とする太子堂であった。以来、真宗は阿弥陀信仰と太子信仰が結合したといわれるようになった。「越中の街道と石仏」よりその影響が砺波地方に残る例である。

 


 

4.永昌庵跡(観音堂)

   立山酒造前駐車場 砺波市中野217  

 

 立山酒造の道路向かいに駐車場がある南側に自然石の石塔が7基並ぶ。その横に細長い建物が続くがこれが観音堂。前面にたくさん戸があり開けると木造の基壇が造られ、その上に八基の石仏が並んでいる。中央の不動明王は彩色が鮮やかで、他にも彩色の跡が残るものもある。薬師如来が明治二十年銘、如意輪観音が宝永七年(1710)銘。

 


 

 この場所は永昌庵があった所である。この付近は庄川町青島の松川除地内から中野を経て太田に至る約6kmに西国三十三ケ所霊場にちなんだ石仏が建てられている。これは永昌庵主真猶尼(安政67月没)が主唱して建立したものである。観音堂の中には剣と索を持ち、背に双翼を張り、火炎光背をって白狐の背に立つ飯縄権現(写真)がある。また戸外の石塔の間に自然石を四角に彫り窪め稲束を担ぎ持つ稲荷大明神も見逃せない。

 


 

5.地蔵堂(中野第二区公民館)

             砺波市上中野1048 

 

 木造の立派なお堂が造られ中に行儀よく五基の石仏がある。右から三面馬頭観音、阿弥陀如来、聖観音、釈迦如来、不動明王の順で、紀年銘の読める二基はどちらも明治期である。地蔵堂とあるが地蔵はなく、どこに行っても不動明王が多いのは上市町の日石寺 不動明王の影響なのでしょうか。

 


 

6.中野第一区公民館 砺波市上中野1012 

 

 公民館広場の西側に川原石を積み重ねた壇上に三基の石仏が畑を背に立っている。右側の不動明王は市内最大で下部に二童子も彫られている。優しさが滲む威厳のある表情がなんとなく日石寺の不動を思い出す明治初期の作品といわれている。中央に名号塔、左側は永昌庵主が主唱して建てた三十三観音の16番千手観音がある。

 


 

7.金屋観音堂(西野バス停横)

                 砺波市金屋3070 

 

 狭い道路でしかも坂の途中にあり駐車が難しい。観音堂には森川栄次郎が47才の時に彫った十一面観音が安置され、右手は与願印、左手は蓮の葉と蕾を入れた水瓶を持っている。周辺には不動明王、観音などもある。また左側に「御上様塚」とあり「罪福皆空無所住」と書かれた石塔がある。これは戦国時代、庄地内の壇城が佐々成政に攻められ城主の奥方は落ち延びようとして、この地で死に、それを悼んで村人たちがこの石碑を建てたという。