長野県伊那市の石仏

 

1.仲仙寺 伊那市西箕輪羽広3052 

 

 伊那街道坂下の辻から仲仙寺までの54丁は、はびろ道と呼ばれる信仰の道で、道標と石仏がある。馬の観音様として親しまれ千人余りの人々が力を合わせて奉納した千疋馬の絵馬がある。広大な寺域で参道にはたくさんの石塔が並んでいる。日課念佛供養塔、双体道祖神など。小屋に安置されたこの三面馬頭観音坐像は片膝を立てた四臂は珍しい。馬頭観音種子カンがあり彫も保存状態も良い。

 

 

 


 

2.薬師庵 伊那市東春近田原526 

 

 春近発電所の導水管の先50mにある小堂で田原のお薬師様と呼ばれている。境内には庚申塔や聖徳太子の石碑などたくさんある。ここに市指定文化財の小笠原政平作准胝観音と延命地蔵がある。准胝観音は一面三眼十八手で胸前二手は説法印と思われるが欠けている。柔和に頬骨が出ているあたりが政平の特徴という。政平は寛政八年(1796)の生まれで「おれの作品は名を書いてないが見ればわかる」といったそうである。万延元庚申歳七月二十八日(1854)の紀年銘がある。

 


 

3.下川手公民館 伊那市美篶下川手10470 

 白い砂岩の石材を使っているため像全体も白く柔らかな感がある。右手を頬にあてた地蔵で、丸に輪の光背には桃が描かれているようだ。「石仏菩薩細工」には載ってないが、面長な顔、眼、口、耳など美男の相は貞治円熟期の特徴がある。台石に「頂礼魔訶薩 自期久遠先 阿僧聞見者 永劫超人天」と願王和尚の筆跡と花押がある。文政十二己丑星三月二十四日(1829)銘。

 


 

4.建福寺 伊那市高遠町西高遠1824 

 

 武田勝頼を中興の開基とする由緒ある寺院。保科氏の菩提寺。境内に貞治作が46体ある。この願王地蔵菩薩は仏足石の横にあり、比較的小振りである。願王和尚は文政十二年二月十九日(1829)当寺で受戒会座中急病になり翌日遷化された。貞治が和尚の霊に捧げるため渾身の力で彫像したと思われる。貞治作は山門手前の階段左右に延命地蔵、六地蔵、西国三十三観音、七観音などあり、じっくり拝観し堪能することができる。

 

 

 


 

 この楊柳観音は階段の途中にあり、右に貞治の延命地蔵、左がこの渋谷藤兵衛作と対になっている。右手に草、左手に壷を持ち頬のふくよかさなど貞治と異なった雰囲気を醸しだしている。台石には「菩薩清涼 月遊於阜 意空衆生 心水浄菩 提影担中」の偈頌がある。嘉永第二年(1849)の建立。

 

 

 


 

5.桂泉院 伊那市高遠町東高遠2322 

 

  ここには貞治作の准胝観音と延命地蔵の二体がある。准胝観音は一面三眼十六臂、中央手は馬口印、背後の円光背の諸手は右に剣、斧、金剛杵など、左は未敷、宝輪蓮華、羂索など。豊かな体躯を包む流麗な衣紋、頭髪の整ったまとめなど全体に調和のとれた荘厳な姿である。文政三辰年(1820)の作で基壇に「施無畏者 遊戯西東 微妙与楽 一任正風 願王拝書」とある。なお墓地最上部の住職墓に貞治作の舟型光背の聖観音と地蔵坐像がある。

 


 

6.樹林寺 伊那市高遠町東高遠2330 

 

 桂泉院と樹林寺は近くだが道路が狭いので要注意。樹林寺は保科正光が関ヶ原の戦いの後、慶長六年(1601)下総多胡から高遠に転封を命ぜられ深く信仰していた樹林寺本尊の写しを作らせ当寺を建立したという。山門手前の参道に板碑の庚申塔が三基並んでいる。左から「アビラウンケン」二猿 寛文十二年八月(1672)、中央は三猿「アビラウンケン」延宝二乙卯三月三日(1675)、右は三猿「キャカラバア」延宝八庚申天四月朔日(1680)どれも江戸初期の貴重な庚申塔である。

 


 

7.勝間大橋 伊那市高遠町勝間 

 

 高遠町から大鹿村へ向かう国道152号線の常盤橋袂にある。この川は三峰川でかつてはたびたび氾濫した。これを鎮めるために造立したもので「水切り不動」いわれている。大盤石の上に座し生気溢れる忿怒の形相、煩悩を焼き尽くす光背の大火焔。どっしりした体躯など不動の名に相応しい。貞治の最高傑作のひとつといわれている。写真を写すのに近寄るが足場の二枚の板が腐っていて危険である要注意を。市指定文化財で大聖不動明王と説明がある。文化から文政年間の作とある。