大分県国東半島の石仏(4)

 

1.梅遊寺跡 豊後高田市一畑663 

 

 数年前に訪れた所で、住所に着いたがお寺らしい建物がない。近くの民家で尋ねると廃寺になって今は誰もいない、ロープを潜った竹藪の向こうだという。本堂は崩壊し境内は雑草や竹木で荒れ果てていたが、石仏はおとなしく佇んでいる。写真は紀年銘がない牛乗り大日如来で近年の作のようである。境内には文政九年(1826)の仁王一対。三面馬頭観音坐像が二基。六地蔵石幢、青面金剛庚申塔 二基、国東塔、十三仏板碑などがある。

 

数年後に訪れたらこれらの石仏は忘れられしまっているのでしょうか心配。

 


 

2.富貴寺 豊後高田市田染蕗2395 

 

  六郷満山の中で満山を統括した西叡山高山寺の末寺のひとつ。昔この地に榧の大木があり、その一木で大堂を作り仏像を刻んだといわれている。大堂は現存する九州で最古の木造建造物であり国宝。本堂には木造阿弥陀如来と脇侍。堂内の壁は極楽浄土の来迎図で今は風化が進んでいるが調査結果から県立歴史博物館に再現されている。入口にある十王石殿は推定室町期の建立で県指定文化財。軸部に十王像が五体と側面に浄破璃の鏡、人頭杖など、これが一対で十王となる。

 


 

 石造物は入口周辺に不動明王、六地蔵石幢、庚申塔、仁王があり。境内の大堂周辺に奪衣婆と十王、笠塔婆、普賢菩薩、国東塔などがある。そのひとつに写真の弁才天が石祠内に納まっている。舟型の小さな像だが

 

  「奉造立弁財天石社一宇 正徳六丙申六月吉祥日」(1716)銘がある。また台座には水辺に立つ鷺を刻出し丁寧な彫刻である。他には五輪塔群、板碑、燈籠などとともに堂内には応安元年(1368)の国東最古の地蔵坐像などもある。

 

 

 


 

3.元宮磨崖仏 豊後高田市真中 

 

 県道655号線と35号線が交差する北側にある。岸壁に彫られており、以前に来た時は上部から木立や草の蔓が垂れ下がり見映えが悪かったが、今は立派な覆い屋根が出来、磨崖仏もはっきりみることが出来た。向かって右から毘沙門天、矜羯羅童子、不動明王、持国天、声聞形尊像。中尊は不動明王だが制咜迦童子は剥落したらしく完全に消えている。また声聞形尊像は追刻と見られている。これらは国東の密教系造像であり、この地域の歴史を知る上で貴重である。

 


 

4.真木大堂 豊後高田市真中真木1796 

 

馬城山伝乗寺は八幡神の化身といわれ仁聞菩薩が養老二年に開基されたと伝えられる。六郷満山本寺八ケ寺

 

のひとつとして三十六坊を有し満山の僧たちが修行に励む長講所としても賑わいを見せたと伝えられる。中

世以降は衰退を辿り江戸時代にはかろうじて現存、本堂一宇を残すのみとなった。本堂には国指定の木造阿弥陀、四天王、不動三尊、大威徳明王などがある。本堂の右側は石仏、石塔が集められ公園のようになっている。この庚申塔は享保十三戊申天八月吉祥日(1717)銘。二童子、四夜叉が揃うフルセットの庚申塔である。

 


 

5.熊野磨崖仏 豊後高田市平野2579 

 

  厚肉彫で雄大、荘厳な磨崖仏。参道の自然石の乱積み石段は鬼が一夜で築いたと伝えられる。右の大日如来は高さ68m如来に相応しい端正な顔形、頭上上方に三面の種子曼荼羅。頬張った理知の光と思想の深みが感じられる。宝冠もなく印も結んでいないので薬師如来と見る向きもあるが、大日如来の古い形ではないかと言われている。

 

 左の不動明王は高さ8.1m眼球が突出し鼻は広く牙をもって唇をかんでいるが、憤怒相はなく人間味のある慈悲の相をそなえている。巨大かつ雄壮な不動。大日と同じ半立像で下部は人工を加えていない。「華頂要略」の安貞二年(1228)の項に「大日石屋」「不動石屋」のことが記され鎌倉初期の存在が明確である。

 


 

6.杵築城公園 杵築市杵築16-1 

 

 杵築城下町の東端に杵築城があり、入口の広場が石仏公園になっている。寄進された石造物が並んでいる。

 

まだ整理されてない石造物がたくさん積み上げられており、これからもっと増えそうだ。ざっと廻った範囲で

 

は庚申塔が9基(刻像:7基、文字塔・2基)他に地蔵、五輪塔、石殿、燈籠などかなりの数である。その中で取り上げたのは石祠に入っている大威徳明王で、説明文には「猪尾即心庵跡」にあったらしく文政十二年(1829)とある。真木大堂の大威徳明王は有名だが石仏では珍しい。道路整備などで捨てられていく石仏をこのように集約して保存するのは良い方法ではなでしょうか。