長崎市・諫早市の石仏


 

1.久山磨崖三十三観音 諫早市久山町1159 

 

 場所が分かりにくいマンション「ニューライフ寺地」の東路地を入るとすぐ見える。入口に小さなお堂があり、その裏の崖面を光背型にえぐりこみ観音像を陽刻している。「文政十一子天二月吉祥日(1828)四良兵エ 政五郎 虎五郎 宅次郎 赤松 当所順礼中 石工次良」の銘文が残り、場所により像容がしっかり残っている所とそうでない所がある市指定文化財である。

 


 

2.天満神社 諫早市小野町6761 

 

 「小野の六地蔵石幢群六基」として長崎県指定文化財になっている。そのうち四基がここにある。右側の六地蔵塔は上竿石に金剛界四方仏を陽刻しており、県内でも珍しいとのこと。その下に梵字と建立者の銘らしいものが書かれ西郷一門の人物らしいとの解説がある。六地蔵の龕部を良く見ると顔の部分が欠けているが、これは廃仏毀釈の影響だろうという。紀年銘は天文十七年戊申十月十三日(1548)で、建立の目的は逆修が多く、戦乱の世相を示しているとのこと。

 


 

3.天祐寺 諫早市小路町1116-3 

 

 戦国時代、百年以上この地を治めた西郷氏の菩提寺で曹洞宗の寺院。広い境内に沢山の石仏・石塔があり、諫早家墓所が県指定、島原戦没者追悼碑と六地蔵塔が市指定文化財である。六地蔵塔は書院内と諫早家墓所にありどちらも拝観ができない。しかたがないので境内にある観音群を掲載する。

 


 

4.慶厳寺 諫早市城見町15-19 

 

 駐車場に面した入口南面の岩壁に西国三十三観音磨崖仏が彫られている。光背型にえぐりこみ高さ40cm30cm前後に観音を陽刻。右側に「西國三十三所〇〇番」と番号を陰刻。「明和七年二月吉祥日(1770)願主福田源太夫母」の銘文がある。壁面の石質が固いのか保存状態は良い。また境内には県指定されている南無阿弥陀仏の「名号石」があり貞和七辛卯年四月十三日(1351)銘は南北朝である。

 


 5.田原の六地蔵塔 諫早市小長井町田原

 

 諫早市の東部、佐賀県太良町に接するところで、県営バス停「田原口」の前にある。バスが方向転換するように広くなっていて、2時間に1本しか便がないようだ。市指定の六地蔵塔が一基と石塔が二基並ぶ。紀年銘は天文十七年戊申年十月十三日(1548)で天満神社の六地蔵塔とまったく同じである。ただこの六地蔵塔は2児を抱く子育て地蔵で非常に珍しい。

 


 

6.滝の観音 長崎市平間町1464 

 

 入口の仁王門前には舟型光背に坐像の明王が一対見守っている。表面を地衣類が覆い持物がはっきりせず尊名が定めにくい。境内に入るとここにも丸彫の四天王立像が存在感を示しているが、これも全身が地衣類に覆われてかわいそう。周辺には観音や五層塔(元禄八年1695)など多くの石仏がある。境内左側の崖面には元禄から宝永にかけて彫られた十八羅漢磨崖仏があり、県指定文化財である。しかし、そこへ入るには猪除けの柵が設けられ、そのため磨崖仏も手が加えらず保存状態が悪く、心配である。

 


 

7.清水寺 長崎市鍛冶屋町8-43 

 

 市内中心部で港の眺望できる高台にある。入口には「不許五辛酒肉入院内」と書かれた結界石と尋ね人の碑「奇縁氷人石」がある。境内は広くたくさんの石仏・石塔がある。境内の前にある石門は明和八年(1771)の建立。豪潮塔と呼ばれる宝篋印塔、四国八十八カ所観音など。その中で取り上げたのは順礼武佐衛門家族像で、彼は西国巡礼を30余度も行い、長崎西国巡礼の先駆けといわれている。幼児を背負い妻との順礼姿は珍しい。彼は奥の院の南にある三十三体の観音の募建をし、文化文政期の「長崎名勝図絵」にも記されている。この家族順礼姿の石塔は寛保二壬戌歳(1742)銘。