鹿児島県薩摩川内市の石仏

 

1.福昌寺 薩摩川内市向田町1040 

 

 当寺は島津家の菩提寺で元は鹿児島市池上町にあったが廃仏毀釈で明治31年に現在地に再建された。仁王の頭髪は鬘を結び、手に偉大な力を持つ金剛杵を持って入口を守っている。市指定文化財で明治三十一年(1898)の建立。境内に不動明王、墓地にも不動明王や地蔵がある。

 


 

2.宮里の田の神 薩摩川内市宮里町 

 

 宮里集会所(宮里770)の南で田圃の中に四基の田の神が並んでいる。宮里は堀之内、植松、川端、城の地域から成っており、それぞれの田圃にまつられていたが明治末期の耕地整理でこの日吉に集められた。いずれもコシキを被り、メシゲやお椀を持っている素朴な彫りに豊作を願う庶民の悲願が込められている。市指定文化財だが写真は左端の一体は看板が重なるのでカットした。

 


 

3.松下田の田の神 薩摩川内市城上町 

 

 上塚バス停交差点にあり、ここは近くの石仏などが集められたようである。写真の双体の田の神は珍しく自然石を彫り窪め、右は男の田の神でスリコギと小鉢を持つ、左は女の田の神でメシゲと小鉢を持っている。他にメシゲとスリコギを持つ田の神が六体と大黒天などがある。また角柱の馬頭観音は浅浮彫で蓮華座に八臂の立像が描かれているが、下部には牛が彫られているようで面白い。

 

 

 


 

4.小路の磨崖仏 薩摩川内市東郷町斧渕

 

 鶴が丘城跡の西岸壁に彫られている。岩の一部を宝珠形に整え、その中心の円形内に法界定印の阿弥陀を彫りその上にキリークの種子がある。阿弥陀でこの印相は例がなく貴重と記されている。像には赤と青の彩色のあとが残り永正十四年丁丑九月八日(1571)の銘がある。また左下の磨崖燈籠は宝暦五年(1755)に寄進されたものとのこと。

 


 

5.倉野磨崖仏 薩摩川内市樋脇町 

 

 県道346号線を北に行き突き当たった小高い丘の上にある。梵字が17個、仏像が1基、五輪塔が3基などで種子磨崖仏といえる。これらは寂円坊が亡き親の供養とともに村人の平安を祈願したもの。中央の月輪中に刻まれた種子オーンク(金剛界両部不二大日)は日本でただ一つしかないと説明がある。紀年銘は文保二年九月八日(1318)。

 


 

6.本庵の田の神 薩摩川内市樋脇町塔の原 

 

 本庵公民館の東南にある長谷神社の近くの玉渕寺跡にある。鉄の柱で瓦屋根の立派な覆屋に納まっている。元は一之宮神社の入口付近に建っていたが昭和51年頃ここへ移った。鎧兜姿で右手に錫杖のようなものを持ち田の神らしくない。広目天を転用したとの説もあるようだ。正徳四年甲午天十月吉日(1714)の江戸初期の建立。

 


 

7.祢地山の田の神 薩摩川内市彫脇町祢地山 

 

 道路沿いの空き地に廻り一面に広がる田圃を見守るように立っている。頭に大きなシキを被り、右手には大きなメシゲを持ち、左手は扇子を握っている。農夫型の田の神で市指定文化財になっており寛政二年戌四月八日(1790)の紀年銘がある。

 


 

8.下手の田の神 薩摩川内市入来町副田2220 

 

 国道328号線と県道333号線が交差する信号の南西の細い川沿いにある。丸彫で可憐な女神像の田の神は珍しい。頭にはシキを頭巾のように被り、髪の生え際まで克明である。右手はメシゲを胸に当て、左手は袖の中で握っている。前裾のめくれに足先が見える。大正十四年に建立されたもの。近くには自然石の文字塔だが早馬段の田の神もある。

 


 

9.中組の田の神 薩摩川内市入来町副田219 

 

 県道346号線沿いにある妙見神社の南にある。元は小萩諏訪神社付近にあったがここに移された。県指定の文化財で一石の丸彫りだが手が欠けている。肩まで頭巾を被る僧衣の立像は地蔵の田の神でこれも珍しい。台座正面に地蔵の種子「カ」奉造立田神大明神右旨者五穀成熟諸人快楽講衆欽吉宝永第八天二月吉日(1711)とあり、年代が判明している田の神では3番目に古い。

 


 

10.麓下の三十三観音塔 薩摩川内市入来町浦之名 

 

 笠付角柱で塔身三面に三十三観音が浅浮彫されている。説明によると入来院十一代重朝の時代に同家一族三十三名(男性十五名、女性十八名)の逆修供養で造立されたと考えられている。大永七年(1527)銘は室町後期のもので市指定文化財である。やや彫が浅いが像容ははっきりしており、鹿児島県では珍しい石塔のひとつではないだろうか。