福島県郡山市の石仏

 

1.西光寺 郡山市三穂田町富岡字一本松15 

 

 曹洞宗で富岡山西光寺とあり、山門前に角柱の庚申塔二基が左右にある。参道に六地蔵と如意輪観音がある。

 

お目当ての阿弥陀三尊来迎供養塔がないので、ちょうど行き会った奥様に尋ねると別の場所にあるとのこと。ご住職が出てこられ案内するので付いてくるようにとおっしゃった。かなり離れており住所は分からない。お堂があり扉を開けていただく。石祠に安置され三尊とも右向きで、この形は三穂田町と岩瀬郡に多いそうである。市指定で左縁に「文永二年八月時正第一番」(1265)右縁に「右志者為過去慈母往生仏國」とある。二本松藩の資料『松藩捜古』によると元禄年間に田の中から堀出されたとある。

 


 

2.宝光寺 郡山市安積町荒井東屋敷9 

 

 境内の一角にコンクルートの基壇を設け15基の石造物が並べられている。右から「ア種子己巳待供養塔」は安永七戊戌天初冬吉祥日(1778)、「ウーン種子庚申□□」三猿があり正徳二年(1712)の庚申塔、左は上から日月、二鶏、ウーン種子、三猿の珍しい並びで、これも正徳三年(1713)。左後ろに丸彫の大黒天立像がある。他に市指定文化財の阿弥陀種子一尊板碑もある。これは藤原祐筆が亡父和泉荘藤原祐宗の百ケ日供養のために弘安六年癸未四月廿八日(1283に)建立したとの銘文がある。

 


 

3.子安観音堂 郡山市安積町日出山3-106 

 

 県道355号線にある日出の山バス停の西に位置する。民家のような小さなお堂の横、覆屋に四基の石仏がある。中央の高さ67cm、幅92cmの角型が市指定の石造宝塔三尊供養塔婆で、この地方産出の安山岩質凝灰岩製。笠部があったが欠損し身部のみ残っている。特徴は三尊のみでなく大小の三重層塔が肉彫りされている珍しい構図。また舟に乗る地蔵立像があり、台石には「磐舩地蔵尊」宝暦七年十月十八日(1757)ととある。

 


 

4.法久寺 郡山市香久池2-9-14 

 

 市の中心南部にあり国道4号線から西へ150mほど入る。左は「山崎の石造塔婆」の解説板があるア種子一尊供養塔。右は「山崎の延文双式塔婆」とある。左の塔婆には「右当考二十一」「三年忌辰為成仏」とあり建立者が父の十三回忌の供養に建てたもので弘安九年丙戌六月四日(1283)銘は(2)の宝光寺と同筆と考えられる。右の双式板碑は破損が激しく接合してあるが、種子は金剛界と胎蔵界の大日如来を表すア、ヴァンで延文四年(1359)銘。

 


 

5.如法寺 郡山市堂前町4-24 

 

 郡山駅の西1kmの市中心部にある。重要な石造文化財が多数ある。ここでは市指定の切支丹墓碑を取り上げる。正面上部に十字章、その下にアバラカキャ(地水火空風)の種子、「覚心道好禅定門」「元禄七甲戌八月二日菩提」(1694)とある。この墓は郡山の旧家山崎屋宗形氏の先祖のもので『如法寺過去帳』にも残っている。「転び切支丹」かどうかは分からないが、この地方に多くの切支丹がいたことは記録にあるそうである。他に釜堂の碑、鈴木信教の墓がある。国指定の阿弥陀曼荼羅板碑や笠塔婆は宝蔵庫なのか境内には見当らなかった。

 


 

6.阿邪訶根神社 郡山市大町2-14-1 

 

 郡山駅の北西500mの市中心部にある。右の大きい方が法華曼荼羅供養塔で高さ275cmの県指定文化財。摩耗が進み判読が難しいが頭部に山形で額があり、上部の種子配列は法華経曼荼羅と考えられている。下部には供養に関わった僧の名前があり鎌倉初期の造立と見られる。左下は阿弥陀三尊来迎塔婆で、これも市指定文化財。鎌倉期と推定されている。

 


 

7.本栖寺 郡山市富久山町福原11 

 

 どちらも市指定文化財で左は家型の枠を設けた中に収められた阿弥陀三尊来迎塔婆です。阿弥陀如来は上品下生の来迎印で、右は合掌の勢至菩薩、左は蓮台を持つ観音が向き合っている。保存状態が良く鎌倉後期と推定。右は阿弥陀如来が坐す塔婆で上部に屋根の笠を設けた跡とみられる突起がある。阿弥陀如来の顔面がはげ落ち痛んでいます。これも当地に多く見られる鎌倉期であろう。