佐渡の石仏

 

1.一重堂 佐渡市両津下久地 

 

 フェリーの両津港から35号線を南へ行き下久地の河崎小学校西を南へ約1.5kmで道路沿いの三角地にある。

 

舟型の七観音坐像が並び、それに木祠が4つ連なっている。石造宝塔内に地蔵が三体あり、壁面に寛政九巳年(1797)銘。その横には石造全体が衣で覆われており、少し前を開くと「足尾山」とある。前に石造の足形が数基あり、足の悪い人がこの足尾山塔に祈願すると治るといわれ佐渡には約2000基あるという。他の祠には子安観音、如意輪観音など。そして庚申塔や光明真言の石塔などたくさん並んでいる。綺麗に整理されており石仏のある風景が似合う場所です。

 

 

 


 

2.長谷寺 佐渡市長谷13 

 

 平安期の大同二年(807)創建の真言宗寺院。奈良の長谷寺を模して築かれた古刹。山門を入り本堂の左に宝篋印塔を中心として石仏が集められている。特に石造宝塔が五段に100基ほどあり、中に石仏が納められている。その隣に伝木食上人作といわれる長谷の大地蔵。その並びには身代り地蔵とある。病気の人や苦しみを救いあらゆる人の願いを叶えるという。小さな奉納された地蔵が何百と並んでおり、まさに地蔵の島佐渡に相応しい光景であった。

 


 

3.椿地蔵 佐渡市小木町988 

 

 小木港の北500mにあり、一里塚のお地蔵さんと呼ばれている。相川から小木港へ行き来する人々のために築かれた一里塚(市指定史跡)と隣あわせている。台座に椿の花が刻まれていることからこの名が付いた。

 

 信州からの注文で小木港から船出しようとしたが、その度に海が荒れて足留めされた。この地に留まりたいとのお告げがあり、ここに安置されたという。天保十二年(1841)銘があり、椿尾の名工中川繁太郎の作品。小木町講中22名の名がある。

 


 

4.岩屋山石窟 佐渡市宿根木188 

 

 磨崖仏は平安から江戸時代に彫られたもので県史跡に指定されている。洞窟は8万年前には海岸線だったところで、波の浸食作用で出来たとある。間口8m、高さ6mで奥行きは深くて分からないそうです。洞窟の内壁にある三体の磨崖仏は中世の作と考えられ、ほかの五体ある菩薩磨崖仏はその後の作である。

 

 入口周辺に真野・椿尾の石工が造ったとされる八十八所石仏群があり、文化八年(1809)の銘がある。

 


5.石切り場後 佐渡市真野町椿尾 

 

 350号線にあるガソリンスタンドの北200mのところに山側へ登る道があり道案内の標識がある。道路に面して宝篋印塔や光明真言塔があり、その奥の小屋に七観音六地蔵が納められている。聖観音には嘉永五壬子歳二月二一日(1852)銘と當村石工善平、伊左エ門とある。また六地蔵は文政八乙酉七月二十四日(1825)銘で島内一の名工五平作といわれている。どちらも五泉寺から移されたとある。小屋の後ろは眺望の良い海が広がっており如意輪観音や宝塔があった。

 


 

6.大安寺 佐渡市相川江戸沢町 

 

 当寺は慶長十一年(1606)に佐渡代官大久保長安が建立した。写真は長安が慶長十六年に建立した逆修塔で国指定史跡である。石室内中央に宝篋印塔が納まっているが、後ろの壁板に如来と菩薩が彫られている。長安は武田氏の家臣で、武田氏滅亡後は代官として検地や交通路の整備に手腕を発揮。また佐渡金山の開発にも力を注いだ。しかし死後は公金隠匿、謀反などの罪を着せられ領地没収、遺子は死罪となり、その真相は闇であるという。

 


 

7.胎蔵寺 佐渡市北狄756 

 

 相川の中心部から45号線を北へ8kmほどで胎蔵寺があり道路から本堂が見える。石畳の参道両側、大きな石組の基壇上に見上げるように左に地蔵、右に薬師如来が鎮座している。そして六地蔵とその中央に写真の阿弥陀三尊が並んでいる。舟型の光背は雲の模様と七体の化仏が彫り込まれているが、摩滅が進行してはっきりした像容が確認できず残念である。台座に何か二体彫られているが判別が出来ない。

 


 

8.生貫観音 佐渡市北狄 

 

 胎蔵寺の南100m山側に向かう細い道路を100m登るとある。一番奥の堂内は暗くて見えにくいが彩色された聖観音坐像があり、石仏といわれているが、見た所では判別できない。ここもお堂の前には宝塔型逗子に地蔵が納まっており天保十二壬寅年六月吉日(1842)銘がある。また手前の海岸に近いお堂にも石仏が並んでいる。不動三尊、聖徳太子誕生像、弘法大師。そしてもうひとつの小屋には弘法大師、千手観音があった。