栃木県鹿沼市中心部の石仏

 

1.雲龍寺 鹿沼市寺町1351 

 

 市役所の南700mにある浄土宗のお寺。境内左側の墓地との境にたくさんの石仏が並んでいる。最初は名号塔で、次に山伏型角柱の「十九夜」塔二基は上部を浅くくり抜き如意輪観音坐像が彫られている。その次は写真の舟型の如意輪観音三基が並ぶ。中央は梵字でサクとあり右足を立てているが手は合掌なので勢至菩薩か。「念佛講 供養佛 天和二壬戌年八月二十九日」(1682)銘。左は十九夜塔で享和三年(1803)、右は梵字のサで「供養佛」とあり天和元年(1681)の紀年銘がある。その隣には円頭光背を背負う丸彫り坐像が五基並んでいる。五智如来のようであり左から薬師、大日、阿弥陀、釈迦、弥勒と見たがどうか。年代は不明。右端の地蔵立像は「四十八夜供養佛」の銘がある。四十八夜は阿弥陀仏の四十八願にちなんで、四八日間の夜に限って行う念仏である。

 


 

2.今宮神社 鹿沼市今宮町1692 

 

 市役所の東に隣接している。天文元年(1532)壬生綱春が築城に伴い城の鎮守として御所の森から「今宮権現」をここに勧請したといわれる。境内には小型で古式な狛犬と燈籠がたくさん並んでいる。本殿裏の森の左側に石塔が六基忘れられたように並んでいる。写真は左側の庚申塔二基で、左は下部が埋没しているが「日月 二猿 ウーン奉造立庚申待□□ 元禄七□正月□」(1694)。右の山伏型角柱は163cmあり「日月 二猿 ア バン ウーンの種子 延宝四丙辰天十一月吉日」(1676)造立者11名が書かれている。ほかは板碑の経典供養塔で慶安元年(1648)から寛文二年(1662)の貴重な石塔群である。

 


 

3.千手院 鹿沼市千手町 千手山公園内

 

 市役所の北500mの千手山公園南の駐車場東にある。天文四年(1535)創建で、本尊は千手観音坐像。鹿沼城の最後の城主である壬生上野介義雄の篤信により、板荷の観音原から移されたとの伝承がある。仁王門を入ると参道両側に子育地蔵、青面金剛庚申塔、聖観音、如意輪観音の十九夜塔などがたくさんある。また観音堂裏に写真のような十数基の石仏が並んでいる。像容のあるものはどれも如意輪観音の十九夜塔ばかりである。この中で三層塔は順礼塔で塔身2には四国、西国、秩父、坂東に男体山、湯殿山、富士山、金毘羅山とあり、広範囲な巡礼は驚きである。享保十七壬子九月吉日(1732)の紀年銘がある。

 


 

4.欠跡共同墓地 鹿沼市上奈良部町362-2

 

 東武日光線樅山駅から東へ約2km稲荷神社の南にあるが、分かり難いので近くで確認を。墓地への入口の電柱に「上奈良部町4」の表示板が張ってあった。墓地の南側に十九夜塔が八基並んでいる。舟型の如意輪観音を浮彫したものが六基、山伏型角柱に「十九夜」と彫りその上に如意輪を浅く浮彫したものが二基。最も古いものは寛保二年(1742)で明和、寛政、文化、天保、嘉永と比較的継続して造立されていることが分る。

 


 

5.智音寺 鹿沼市茂呂1498 

 

 東北道鹿沼IC出入口から北西2kmほどにある天台宗のお寺。入口に「勝善神」の自然石文字碑と上部が折損した三面馬頭観音立像がある。境内にはここも如意輪観音の十九夜塔と墓塔の如意輪観音が九基並んでいて壮観。

 

ひとつだけ彫の良い青面金剛庚申塔があったので写真に取り上げた。駒型で上部に日月、重量感のある青面金剛で持物は法輪・鉾、弓矢、合掌の一邪鬼、三猿、二鶏の平凡なもので「奉供養庚申尊像 享保元丙申歳仲冬五日」(1716)の銘がある。

 


 

6.永林寺 鹿沼市上石川680-2 

 

 東北道鹿沼IC出入口から南2kmほどにある曹洞宗のお寺。寺号塔のある入口参道両側に六基の石仏が並ぶ。

 

右側に舟型の如意輪観音坐像が三基。手前から「奉唱観音和讃供養塔 當所講中女人廿九人 延享四年丁卯霜月十七日」(1747)。中央は「奉念唱十九夜念佛供養塔 上石川村講女中廿九人 明和四丁亥年十月吉日」(1767)。この二基の建立年には20年間あるが講中29名は同じである。左端は「奉唱十九夜念佛供養塔 講中当邑廿人

 

延享二乙丑九月吉日」(1745)。

 

 

 


 

 左側には山伏型角柱の十九夜塔が三基ある。左端は正面に如意輪観音刻像と「十九夜」の文字。右面に「天保六未年十一月吉日」(1835).基礎に「上石川村女人講中三十六人」。中央は如意輪観音刻像と「十九夜」の文字。右面に「嘉永六癸丑年十一月十九日」(1853)。基礎に「上石川村女人講中廿弐人」。右端もほほ同じで建立が「慶應二年丙寅十一月十九日」(1866)である。右側三基は江戸中期の造立。左側三基は江戸後期の造立でその間に88年あるが女性のよる講中が継続されていたことがわかる。