横須賀市西部・長坂から武の石仏

 

1.長坂やぐら群 横須賀市長坂4-22 

 

 逗子駅から国道134号線の西海岸通りを行く京急バスに乗車し佐島バス停で下車。逗子方面へ少し戻ると「マツモトキヨシ長坂店」がある。その信号を右折するとすぐ左に立派な石材で囲まれた石仏群がある。左端の角柱は中央に「南無妙法蓮華経帝釋天王」その左右に「大日天王 大月天王」とあり安政三年(1856)の建立。中央の四基は笠付の青面金剛塔で左から三番目だけは二臂である。潮風の影響かトロケている石仏もある。このあたりは中世に長坂郷を支配した大友一族の墳墓穴が十数穴あったそうである。

 


 

2.長谷観音前 横須賀市長坂4-14 

 

 やぐら群から道なりに坂を上り約1キロで左にさきほどのヤグラ群と同じような立派な覆屋があり石仏が六基並んでいる。その上に破損した小屋があり観音が二基安置され、長谷観音である。左三基が文字塔、右三基が青面金剛のすべて庚申塔である。青面金剛は合掌六臂と剣人六臂の違いがあるが、法輪、三叉鉾、弓矢は同じで三猿やショケラの姿に変化がみられる。像容の三基は江戸後期、文字塔は明治から昭和までの建立。

 


 

3.長坂公園南路傍 横須賀市長坂3-31 

 

 さらに先へ進むと左に自衛隊の射撃場の金網が見える。その先左に長坂公園がある。公園端を廻りこむように左へ行くとJA長坂集荷所前の公園脇に石仏がある。七基すべてが庚申塔で特に帝釈天の像容がある二基を掲載する。右の帝釈天像には「高祖御作 帝釋天王 経栄山題経寺常行 東葛西領柴又」右面に題目、左面に「自我経六万巻」 文政二年十一月廿四日(1819)。他の石塔も日蓮宗系の庚申塔で「奉納帝釋天王」に三猿があるが

 

寛文初期の建立で、柴又の帝釈天との結びつきがうかがえる。

 


 

4.IR電力中央研究所寮前 横須賀市荻野11-27

 

 長坂公園南路傍前の三差路を東へ行き荻野川の大堤橋を渡って右折。100m先を左折するとIR電力の寮が見える。その向かいにも立派なコンクリート製の覆屋に10基の石仏がある。左端の観音以外はすべて庚申塔である。そのうちの三基を写真に入れたが左の駒型は一鶏と烏帽子を被り棒を持つ一猿で宝永五年(1708)銘。他の二基は邪鬼と三猿の姿に特色があり発想のユニークさには驚く。

 

 

 


 

5.太田和保育所前 横須賀市太田和3-740 

 

 この先を100m行くと突き当り右折すると100m先に沢口建築が見える。大通りを左折し400m左に太田和保育園がある。道路沿いの白いガードレールに沿って石仏が15基並んでいる。石仏とガードレールとの間が僅かしかなく写真が撮りにくく、またガードレールが影を作る。ここも大部分が庚申塔で江戸後期の建立ばかり。

 

中央付近にあった笠付の青面金剛剣人六臂の一般的な像容を載せた。

 


 

6.三浦縦貫道脇路傍 横須賀市3丁目 

 

 保育園を東へ200m行くと左に栄林寺があり、その前を右に行くと三浦縦貫道を潜るトンネルがある。超えるとすぐ右に石仏が露座で並んでいる。どの石仏も白いカビで覆われ銘文が読みづらい。地蔵や名号塔が混ざっているがここも庚申塔が中心である。ここへの途中の路傍にも庚申塔が三基あり。どこを歩いても庚申塔を見つけることができる。本当に三浦半島は庚申塔の宝庫であることを実感する。

 

 

7.4丁目第3公園前 横須賀市武4-27-5 

 

 その先300mを左折、武山保育園を左に見て坂を下ると右に公園があり。コンクリートの垣根に石仏5基が並んでいる。中央の角柱は彫りが浅く銘文が読めないとのと、その左は巡拝供養塔で、残り3基は庚申塔。右から

 

2番目の角柱は笠が欠損しているが剣人六臂の青面金剛で左右面に童子が大きく浮彫され横須賀周辺では珍しい。寛政八丙辰年十一月吉祥日(1796)銘。

 


 

8.一騎塚公園 横須賀市武3-20-11 

 

 第3公園の先の広い道路が県道26号線の三崎街道で500m先メガネジョイのY字路を左に行くと、左に公園がある。斜面を利用してあちこちに石仏が置かれている。写真の庚申塔三基は簡易な階段の右側にあり中央の駒型は182cmと大型で迫力がある。左右の笠付の青面金剛は剣人六臂で嘉永二年(1849)~明治十七年(1884)に建立された。他にも珍しい「富士山開闢 與樗(きやり)地蔵尊」や、不動明王、大工左官講中建立の聖徳太子文字塔などがある。帰路は横須賀、三浦海岸方面へのバスがある。