神奈川県大磯駅周辺の石仏

 

1.楊谷寺 大磯町大磯910 

 

 JR大磯駅を下車し線路沿いを東へ行くと150mで右に楊谷寺の屋根が見える。山門が通行止めになっていたので境内から入る。天台宗で元は高麗山の西尾根を下った楊谷寺谷戸にあったが天正年間に現在地に移ったという。丸彫の立派な地蔵坐像が存在感を見せる。台石に「供養 成辨 石大工大磯富澤□□」とあり享保十年(1725)銘。その周りに六地蔵と十三仏が並んでいる。十三仏は舟型ですべて坐像である。今はなくなっているが以前あった名号塔には「十三仏」銘があり元治元甲子年三月十三日(1864)銘があり同じ時期の造立であろう。

 


 

2.長者町道祖神 大磯町大磯1929 

 

 楊谷寺を南に出て国道1号線を左折。300mで山王町の信号を右折すると、すぐ右に祠がある。鳥居の前に看板があり「第八番所 老人憩いの家前 双体道祖神」とある。これは大磯の「左義長」のナナトコマイリ(七所詣り)のひとつで111日~13日までに決められた七箇所を廻ると平穏、家内安全、無病息災のご利益があるという。駒型に合掌する双体像だが、左義長で浜に運ばれるためかかなり痛んでいる。年代は不明。

 


 

3.日枝神社 大磯町大磯182 

 

 長者町道祖神の前を西へ行くとすぐ日枝神社の裏に突き当たる。表に廻って鳥居を入るとすぐ右に石塔が12基並んでいる。両端の道祖神と大日如来を除けばすべて庚申塔である。青面金剛は写真の右から2番目の駒型のみ。「種子キリーク奉待庚申供養祈所 元禄六癸酉五月十七日」(1693)。右の板碑型三猿塔が最も古く元禄五年(1692)で一番新しくても延享元年(1744)で江戸中期の50年間のものが十基揃っている。境界が住宅のため陽が入らず苔が生え、撮影も難しい場所である。

 


 

4.熊野神社 大磯町大磯1532 

 

 日枝神社の前の道を西に行くと250mで信号があり、直進すると300mで右に脇医院がある。その先の右側に熊野神社が見える。鳥居を入ると左に庚申塔、地神塔の文字塔が並んでいる。右側は順番に三猿の庚申塔、「地主神」とある地神塔の文字塔がある。その先に小さな目立たない石仏がある。右肩に箒を背負っている珍しい箒神である。『日本の石仏 120号』に紹介されている。「髪を振り乱した女神が箒を右肩に背負っている浮彫像である。かつて出産のときに産室の隅に箒を逆立てることがあった。箒は物を掃き出す用具で、胎児を妊婦から掃き出すと連想された。」とある。応月天保十亥正月吉日(1839)銘。

 

 

 


 

5.浜之町道祖神 大磯町大磯1520 

 

 熊野神社の先100m左の駐車場奥、海側に小さな祠が見える。一段と高くなった石祠内に双体道祖神が納まっている。この双体像も剥離が進行して像容がはっきりしない。合掌し頭に烏帽子らしきものを被っている。向かって右の背が高いので男神で左が女神だろうか、大正七年一月(1918)の紀年銘がある。まわりに如意輪観音、聖観音と馬頭観音の文字塔がある。

 


 

6.鴫立庵 大磯町大磯1289 

 

 浜之町道祖神を北に行くとすぐ国道1号線になる。西に行くと200mで左に鴫立庵がある。西行法師がこのあたりの海岸を吟遊して「こころなき 身にもあわれは知られけり 鴫立沢の 秋の夕暮れ」という名歌を残したと語り伝えられている。寛文四年(1664)に小田原の祟雪がこの五智如来を、この地に運んで草庵を結び、初代の鴫立庵主となった。五智如来は左から宝生、阿閦、大日、阿弥陀、釈迦の順に並ぶ。他に標石、句碑、歌碑が沢山ある。

 


 

7.青年会館前 大磯町西小磯 

 

 鴫立庵からさらに国道1号線を西へ行き800mで滄浪閣前信号がある。その先の小路を左へ入るとすぐ道路に石造物と墓塔が混じって15基ほど並んでいる。そのうち六基が巡拝塔である。写真、左の角柱は上部に聖観音が浮彫され「奉納秩父三十四所順礼供養塔」文化八年(1811)の建立。中央は墓塔なのでカット。右は地蔵立像が浮彫され「念佛講供養」とあり、碑正面に出展未詳の偈頌がある。「造作五逆罪 常念佛地蔵尊 遊戯諸地獄 決定代受け苦」五逆の罪をつくるとも 常に地蔵尊を念ずれば 地蔵は諸地獄をめぐり 必ず代わって苦を受けてくれるという。元禄十一年(1698)銘。