神奈川県真鶴町の石仏

 

1.町役場前坂の先 真鶴町岩244 

 

 町役場前に「石工先祖の碑」があり、横の坂道を上がると広場にこの碑と墓塔らしきものが並んでいる。この石碑は平安時代末期に石材業を始めた土屋格衛や江戸城を築くため採石にあたり小松山に口丁場を開いた黒田長政支配下の石工七人の業績をたたえ江戸時代末期に再建されたもの。「南無阿弥陀佛 元祖古元業源土屋格衛 安政己未年七月」(1859)とある。入口には大下の道祖神があり、この細道は石材を運んだ道という。

 


 

2.丸山の道祖神 真鶴町真鶴292-8 

 

 真鶴町には十一ケ所の道祖神があり、そのひとつでスーパー小田原の駐車場脇に安置されている。左は合掌する僧形単体坐像で、豊かな頬は子供のようでもある。昭和七年五月(1932)の造立で新しい。右は「道祖神」と書かれた文字塔。この先、港方面に行くと「謡坂の碑」がある。これは石橋山の戦いで敗れた頼朝ら七人が箱根山中から逃れて休息し、頼朝の再起を祝い土屋実平が謡い踊ったといわれる所である。

 

 

3.下の道祖神 真鶴町岩455 

 

 頼朝が房州へ舩で出航した真鶴町岩の湊の近く、海岸沿いの岩壁を洞窟状にしたところに三基の僧形単体坐像がある。塞の神としてドンドン焼が一月十五日午後三時から行うとある。部落の安全、安産祈願、行疫厄除、大漁、縁結びを叶えるとある。地蔵のような像容だが伊豆半島一体に分布する道祖神で伊豆型道祖神ともいわれており、このあたりは東端である。

 


 

4.如来寺跡 真鶴町岩633 

 

 岩の海水浴場にある公衆トイレの北西、民家の間にある。帰命山如来寺は元和六年(1620)に建てられ本尊は石仏の阿弥陀如来であったといわれている。古い境内に石窟があり中に石造の十王像や聖観音、地蔵などが安置されている。地蔵や如意輪観音は木食但唱上人が制作したといわれる。但唱は箱根塔が沢の阿弥陀寺裏山洞窟で石塔を刻んだことで有名な木食弾誓の後継者といわれる。

 

 

 如来寺跡洞窟の裏山あたりに秋葉社があるが、その途中に珍しい石殿型の庚申塔がある。台石に三猿が彫られ

 

室部の扉表には卍と輪宝が描かれている。扉を開けると中に駒型で日月に邪鬼を踏む合掌六臂の青面金剛が納まっている。扉の内側にも松竹梅のような模様があり大型の石殿は立派。またこの上の秋葉社には丸彫の大天狗、烏天狗の立像がある。

 


 

5.瀧門寺 真鶴町岩697 

 

 入口に高く聳える宝篋印塔は明和四年(1767)に瀧門寺13世鳳州了悟和尚が人々の幸せな生活を願い、多くの人々の寄付や労力の提供を受けて建てたといわれている。参道両側には石造物が並ぶ。廃寺となった光西寺から運ばれた五層塔は慶應三年(1867)の建立で塔身は一石造であり彫刻の技術が高かったことを示す、また子育地蔵は掌善。掌悪童子に邪鬼、子供二人を含む鬼ごっこをしているような面白い石造物もある。

 


 

6.上の道祖神 真鶴町岩 

 

 瀧門寺の先、北へ行くとすぐ道路沿いの左側に三基の僧形単体坐像の道祖神がある。すべて合掌しており町内にあるどれも同じような像容で近くから集められたのであろう。