大阪府豊能町の石仏(1)

1、川尻中の谷の石仏 川尻中の谷

 豊能町は多尊仏が七カ所あり、この地に集中し注目されている。交通の便が悪く、歩いて廻るには時間がかかる。幸なことに豊能町教育委員会から今年三月に「豊能町の石の文化財」改訂版が刊行され良い参考書がある。他に「とよの散策ガイド」、「豊能町観光マップ」がある。これらを参考に自動車で廻るか、歩いて廻るか検討する必要がある。道路の分岐点などに道標が設置され分かり易い。また石仏には説明の看板が、これも今年3月に設置した新しいものがある。車の場合は入れない道路も多いので事前計画を入念にしてください。このコースの道路案内は大変なので省略します。参考書を熟読ください。

 

 この多尊仏は三角状の自然石で上部に来迎阿弥陀三尊。下部、三段に16体の合掌地蔵坐像が彫られている。全体に風化が進み衲衣や印相ははっきりしない。三尊の両端に「為天正元年八月十五日」(1572)とあり室町末期の造立とは思えない汚れのない石仏にびっくり。横にある光明真言塔は寛文12年で念佛同行23人とある。

 

 

 


2、川尻北の谷磨崖仏

 中の谷から川尻北へ向かう道路の下10mほどにある。下へ降りる所に案内板があるので見落さないように。3メートル四方の苔むした大岩の上部に50センチの舟型に彫り込み不動明王(右)と地蔵(左)が並んでいる。地蔵は棒のように長い錫杖を持っており。不動明王は丸い温和な表情に見える。不動の両側に「天文十七戊申年正月吉日」(1548)で室町後期の紀年銘。

 


3、川尻北の谷多尊仏

 北の谷磨崖仏から法輪寺へ向かう途中の左側にある。100cm×120cmの大石に彫られている。上部は阿弥陀三尊で右は観音、左は地蔵である。下部三段を含め全部で19体の合掌像と五輪塔が三基配置されている。合掌像の19体はこの塔の造立者の人数といわれている。左端には「天正八年庚辰八月日」(1580)の銘。彫りは稚拙であるが石仏を見ていると読経が聞こえてきそうな雰囲気がある。多尊仏の右横に双体阿弥陀がある。これも室町期と推定されている。

 


4.川尻北の谷の不動と大峰山供養塔

 川尻北の谷の多尊仏からさらに法輪寺方面に向かい広い道路に合流したあたりにある。覆屋の中に安置されており、舟型に彫り窪めたなかに浅浮彫してある。身体を少し傾けたように見えるが衣が流れているせいなのかもしれない。衣紋の襞や線がこまかく描かれている。「奉書為不動尊形一万躰供養 天正十六戊子年六月廿二日」(1588)とある。不動明王を一万体書き写して奉納した証しである。隣に宝篋印塔があり台石に「大峰山三十三度登拝記念」とある。これは享保9年の造立。

 


5.川尻打越の阿弥陀三尊

 北の谷から金石橋の交差点へ行く途中、少し右の坂を上る。これも覆屋があり舟型に彫り窪めて三尊を浮彫してある。「豊能町の民話」によると元は天台山中腹の「石清水」にあったが、この山から見渡せる尼崎の漁師がお地蔵さまが光って鰯が捕れないというので、この地に移したという。それ以来「いわし見ずの観音さま」と呼ばれているとのこと。阿弥陀の足元に銘があり「正平七年壬辰三月 願主僧□□」とこの地では珍しい南朝の年号である。

 


6、木代たぬきやぶの磨崖仏

 

 町役場から国道423号線を南下。木代界橋を曲がり、すぐの山道を歩く。途中の林を右へ行くが道標がないので要注意。陽が当たらないので苔が全面を覆っている。120cm×400cmの大きな自然石の中央に阿弥陀立像。その左に2体、右に4体、その下部に10体の地蔵坐像が刻まれている。地蔵のうちの何体かは法名が書かれており逆修塔である。またこれらを地蔵と見るかどうかも異論があるようである。阿弥陀の両側に天正二年(1574)の紀年銘があるそうです。

 


7、朝川寺 豊能町木代1530

 

町役場から茨木市へ向かう府道110号線沿いにある。室町時代の創建という古刹であり、歴史のある無縫塔が墓地にある。本堂の左にある丸彫りの可愛い地蔵坐像は蓮台を含めて45センチの小さなもので、台座には両親と思われる法名に並んで「智参童女」とある。幼くして亡くなった子供への思慕と慈愛の籠った願が感じられる石仏です。それと参道階段にある結界石が珍しい。右側は「境中制殺生」左側は「門狸禁葷酒」とある。『狸』とは何を表しているの知りたいものです。

 


8、地福寺 茨木市桑原709

 

ここには指定文化財が三基ある。五層塔は鎌倉後期の徳治3年(1308)の建立。それと天正9年(1581)の十三仏は自然石を四段に分けて配置されている。頂部は虚空蔵だけで、あとは四体ずつ並んでいる。写真の六地蔵は上部に阿弥陀を配し、その下二段に六地蔵が並ぶ。石が黒くなって像容がはっきりしない。「天正八庚辰十二月廿四日」(1580)の紀年銘がある。さすがに関西には江戸期以前の石仏が多く、歴史を感じさせてくれる。