大阪府豊能町周辺の石仏巡り(2)

・1.余野中所の十三仏

 切畑口の信号を109号線に行き、右にグラウンドがある裏側、細川の十三橋の田圃の傍らにある。120センチ×100センチの方形の平らな自然石の上段に阿弥陀三尊(脇侍は蔵)。下段に17体の地蔵立像が彫られている。白い地衣類に覆われて像容がはっきりしない。花が捧げられお詣りする人がいることが分る。裏面にも20体の地蔵が描かれている。側面に「本願 道清 永禄七年二月時将日(1564)とあり道清の造立で、同行17人の後生安楽を願った逆修仏であろう。室町末期の当地の民間信仰が伺える。

 


・2.遊仙寺 豊能町余野237

 十三仏から109号線を茨木方面に行った左側の奥にある。昭和30年代に地区の各所に散在していた石塔や石仏を集めて約400基を四角錐状に並べてある。色々な石塔をまとめた寄せ墓で、この中に南北朝の宝篋印塔が4基と一石五輪卒塔婆がある。卒塔婆は長い地輪の上部四面に四方仏と応安六年二月十八日(1373)の年号が刻まれている。高さ227センチの立派な卒塔婆で地元産の花崗岩で造られている。

 


・3.切畑西野の多尊仏

 遊仙寺から109号線に戻り、茨木方面に行った左側の西野集落の北側南麓にある。福聚観音堂の名前があるが地元でも分からない人が多い。高さ127センチの山形で石英閃緑岩の板状石に、上部に阿弥陀三尊立像。その下部四段に4・4・4・3体ずつで15体の坐像がある。阿弥陀如来は来迎印のようで、頭の周辺に放射光が彫られている。阿弥陀の両側に「為逆修 天正三乙亥年八月三日」(1575)と刻まれている。 

 


 

4.法性寺 豊能町切畑506 

 

 西野多尊仏から先に進んだ左側にある。境内にある石風呂は府指定文化財で、使用目的ははっきりしないそうだが僧侶が斎戒のために使用したという説と、人々が厄病除災にご利益があるとして入湯したという説などがある。大きさは外寸が200センチ×130センチ。高さ70センチ。上部に給水口らしい穴、底部に排水口が見られる。鎌倉時代の製作と推定されている。また墓地入口には正和三年(1314)の地蔵立像がある。短い錫杖と宝珠を持つ。

 


 

5.切畑・大円釈迦堂 

 

 109号線より北へ約200メートル入った大円の北方丘陵端にある。高さ146センチの自然石の上部に舟型の彫り込みを入れ阿弥陀三尊が彫られている荘重な像である。中尊は肉髷が高く、観音は蓮弁を持ち、勢至は合掌る。「為三世四恩也乾元二年癸卯二月下旬願主敬白」(1303)で豊能町最古の石造物である。この横にある宝篋印塔は室町中期の様式を残している。

 


 

6.切畑・大円下所の地蔵 

 

 109号線の大円バス停のところが少し広くなっているので、ここに駐車して歩くと右側にある。地蔵は付近から掘り出されたものという。高さ184センチの自然石表面を舟型に彫り窪めて地蔵立像を彫っている。すらりとした長身で引き締まった感じが印象的。無銘であるが法性寺の地蔵と酷似しており南北朝と推定されている。

 


 

7.切畑大円下所の多尊磨崖仏 

 

 下所の地蔵からさらに南へ行き採掘場跡の南側道路沿いに、長安寺跡多尊仏と呼ばれる磨崖仏がある。太陽が入らない林の中にあり全体が苔で覆われている。高さ178センチ×巾300センチの自然石に横長に彫られてる。中央に阿弥陀立像、その周囲の三段に合計22体合掌坐像が彫られている。いずれも長方形の切込みを入れて半肉彫された供養佛である。阿弥陀像の下に「為逆修天正二甲戌年十一月吉日」五輪塔の地輪に「天正二年為逆修 五月十五日」(1574)の銘がある。

 


 

8.今西共同墓地 能勢町今西 

 

 能勢町今西203の蓮華寺から数百メートル西へ行くと右手に廃校した小学校がある。校舎の西側の細い道を数百メートル登ると墓地跡があり、石塔が七基並んでいる。右側の六基は高さ120センチで頂部に地蔵を刻んだ六地蔵である。石造の地蔵が造られるようなったのは鎌倉時代と言われておりこの応安二年(1369)銘は貴重である。左端の一尊板碑は阿弥陀如来で紀年銘はないが六地蔵より古いと考えられている。

 


 

9.月峯寺 能勢町大里555 

 

 境内に高さ128センチと等身大の阿弥陀如来座像が六基並び堂々とした像容を見せている。洗練された作風は京都系石工の手によるものと推測され、有力な豪族か名主の造立とみられている。左から二基目に文安四年(1447)の銘があり、阿弥陀信仰が庶民に定着したころといえる。入口には結界石があり、境内から裏山にかけて三十三観音が並べられている。

 

5如来。は蓮遍を(29