奈良県柳生街道滝坂の道の石仏

 

1.円成寺 奈良市忍辱山町1273 

 

 柳生街道は春日山と高円山の谷あいの道を通る奈良中心部から柳生まで達する古道。南都七大寺の僧の修行場でもあった。奈良中心部からバスで直接、忍辱山バス停まで行く。少し戻るとすぐ広大な敷地の円成寺である。左に池があり、右の石段を登ると境内が広がる。本尊の阿弥陀如来は重文で他に四天王、南無仏太子などがある。石仏は本堂と護摩堂の間の木立下に天文⒚年(1550)の阿弥陀坐像、左右に地蔵の三体が並び、どれも室町後期の建立である。。陽が当たるので木の葉模様が石仏に影を作ってしまう。他に十三重塔と池の向こうに石仏群がある。

 


 

2.円成寺墓地 

 

 自動車道を渡ると向かい側に石畳み道の細い自然歩道が続いている。すぐ左に舟型の六地蔵が目につく。その奥が墓地になっている。入口にある舟型光背の地蔵立像は天文六年(1537)銘。墓地に入るとすぐに写真の七阿弥陀仏が目を引く。四段に蓮華座に乗る七体は阿弥陀定印で元亀二年(1571)銘。石龕に納まる地蔵、六字名号板碑、五輪塔などたくさんの石造物がある。

 


 

3.茶畑の地蔵 誓多林峠の集落 

 

 墓地から自然歩道は暗くてかなり細い道になり、上り下りもある。約3.5キロで茶畑が眼前に広がりホットする。Y字路の左に石燈籠があり、右に行き農家の作業小屋の先に右に登る坂道がある。茶畑の向こうに大きな地蔵が見える。長い錫杖と宝珠を持っているが、少し風化が進んでいるようだ。その右に名号塔、左に舟型で上部に六臂の如意輪観音が彫られている。村の女人衆が建立した文化十一年(1814)の十九夜塔である。

 


 

4.芳山石仏 

 

 茶畑石仏の先、少し登った坂の右に小さな社がある。その前の細い道が芳山石仏に行く道である。最初は下りで後半は長い上りになる。途中、芳山石仏の道標が23箇所あるので心配ない。片道約600m30分ぐらいだろうか、開けた場所に大きな岩がひとつある。南面と西面に説法印の如来が二体彫られている。力強い面相に穏やかなほほえみを浮かべ、薄い絹衣をまとったようで衣文は奈良時代の仏像と共通するという。写真ではどちらかの面が日向で、もう一方が日陰になってしまう。

 


 

5.春日山石窟仏 

 

 奥山ドライブウエイに合流した先に入口がある。石を切り出したあとの洞に線彫したもので、これらは山伏が岩窟に寝起きして彫刻したとか、大仏殿建立のあとに石材採りの石工が彫刻したとか石切峠の穴仏といわれる。東窟は地蔵群、観音群で元は六地蔵、六観音として彫られたらしいいという。平安末の大寿二年(1155)八月二十日の銘があるそうだ。

 

 

6.地獄谷石窟仏 

 

 聖が住んでいたとい伝説があり、聖人窟とも呼ばれている。写真にある本尊の如来は施無畏印と与願印で廬舎那仏とか釈迦とか言われる。推定奈良時代の作。横の十一面観音は室町期の追刻という。他に東壁面には菩薩形坐像、光背に24個の星を線で結んだ妙見菩薩。西壁面には阿弥陀と千手観音坐像が描かれているという。金網で全体を覆っているため望遠でしか撮影できない。しかも洞窟状のため太陽光線が斜めに射して全体の撮影が無理であった。

 


 

7.首切り地蔵 

 

 地獄谷石窟仏からの道と春日山石窟仏からの道が合流する三叉路にある。首の部分がまるで刀で切られたようになっているお地蔵様で、剣豪荒木又右衛門が試し斬りしたと伝えられる。この滝坂道は江戸中期に奈良奉行が敷いた石畳路が続き、昭和のはじめまで柳生から奈良へ米や薪炭を牛馬の背につけて日用品を運んだといわれる。

 


 

8.朝日観音 

 

 奈良と柳生を行商で行き交う人々が、東側にあり朝日に映えるこの磨崖仏を朝日観音と呼んだが実際は観音ではない。中央に弥勒、左右に地蔵の三尊磨崖仏である。左は錫杖を持たない春日本地仏の印相である。鎌倉後期の文永二年(1265)の銘がある。今秋の台風被害の影響が残り通行止めがあったり、夕日観音などは崖下が崩れていたりしてまだ修復がされてなかった。